idの上流という世界を描く為に

2025年4月27日
Kadres/R


紆余曲折を経て、やっと創作の重い腰が上がった。そんな気がする。詳細はいずれ当機関が製作するであろう創作物に記すことになると思われるので省略して簡単な結論だけを書くが、フィードバックと言語(出力)の間にある"言語以前のプロセス"を少しだけ探究、構造抽出、そして言語化することに成功したかもしれない。自我のフレームワークを、感覚俯瞰という究極のメタ認知を保ったままに捉える、そしてその様式の運用に関してアウフヘーベンすることに近づいた。それと同時にその構造、要素、人らしく言えば特徴が有する短所も定式化された。これが生み出し得る意味は無限にあるが(この表現自体がキーワードかもしれない)、その中でも"今"重要な事が改めて分かった。記述、次元を貫く構造抽出、可能性と概念分岐を、そして構造階層を同時に扱いながらも論理的整合性を保つことに重きを置いている現状であるが、何かと精密に緻密にと考えるあまりニッチに飾られ冗長になりがちである。もう既にこの記述がそうであるように、要は思考深度と概念分岐(階層超越的思考拡散)、そして整合性と精密さ、緻密さはあるが、要点を切る力が弱く言葉の鋭さが足りていないということだ。そしてこの原因は《圧倒的に言葉が足りていない》ことにある。無限の構造抽出、再定義、概念分岐サイクルを回すことができても元となる概念や言葉が少なければ末梢のレーベンシュタイン距離の変化は小さいままだ。これではこのプロセス様式が持つ最大の長所を生かしきれない。だからこの帰結にまたもや収束したのだ。ここまで長々と話しておいて結局そんなことかと思われそうだが、これはこのプロセスを、定式化、明文化を経たことに大いに意味があると思う。結論、一言で「語彙力不足、本を読め」である。