2025年1月22日
これは、ある物語の始まりである。
これは、"この"空間に広がる情報の集合である。
これは、或る本のはじまりである。
この言葉に対する解釈、即ち固有な性質のオブザーバブルとして創発した何らかの作用に関して、それら全てに対しての観測を行い、理想としては対話を通した性質の探究活動と輪郭の探索をしたいところだが、まだそれをできるだけの準備は終わりそうにない。しかしながら、それらの足掛かりとしてこのような場が構築され始めたことに関しては、穏やかな心の流動として感謝を示すとともに、我々としてもこの場での《執筆》を理想への門出とし、様々な情報の保存を目的の1つとして試みた上で、蓋然性と無数の必然の連鎖による相互作用の世界へ前向きに飛び込んで行こうと思う。なにより、これが性質の永遠となり得ること、そしていつか訪れる美しい腕がこの本を手に取ってくれるのではないかという希望を託して、今は掠れることのないインクでこの新しい本の始まりを綴ろうと思う。
最後に、随分と昔から《虚構》とともに眠り続けていたとある文章を、この機会に乗じてここ載せようと思う。これは終わりのない物語であり永久に続く進化の旅路そのものである。であるからして、この文章に完成がないこと、今後も変わり続けるであろうということを先に提示しておく。
〈重要なのは、疑問を持ち続けること。知的好奇心は、それ自体に存在意義があるものだ。〉
――Albert Einstein.
想像、この言葉が提示するものは無限の可能性である。それが真に無限である可能性さえも……我々が誇るべきこの「想像力」であるが……さて、人類は知能を特筆すべき武器として手にし、一生物種として生態系ピラミッドでの地位を獲得し、我々自身も驚くような恐るべきスピードで文明を発展させてきた。科学、技術、芸術、信仰……詳しくは分からないが、きっと挙げればキリがないだろう。様々なことを解き明かし、それを応用して発展を遂げ、現代では科学技術を基にこの通り、これほどまでに便利で豊かな社会を構築するまでに至る。さて、こうなるに至った経緯であるが……そう、先ほども述べた「想像力」である。我々は知的好奇心を原動力とし想像力を働かせ、持ち前の知能で未知に挑んできた。しかし、ここまで持て囃しておいてこのようなことを言うのは少々心もとないが、人類は『愚か』である。偏った極端な思想に見えるかもしれないが、これまで起こってきた人類文明の行いを俯瞰すれば紛れもない事実であるとも言えるであろう。感情を暴走させ、自分本位な考えで他者とは言え同族を欺き、自然へ仇を成し、争い、そして過ちを犯し続けてきた。人類とはなんと愚かで不完全な生き物なのだろうか……だがしかし、そのような中でも苦悩し、時として他者と衝突し、何度も何度も試行錯誤を繰り返しながらも最終的にはより良い方向へと歩みを進めようとする。これもまた、人類の歩んできた歴史、れっきとした事実である。
我々は不完全な存在だ。不完全だからこそ進化という希望がいつもある。だから、こんな時こそ我々が手にしたこの知能を、想像力を働かせ、進んで行くべきではないのだろうか。
《『集え』。そして共に歩もうではないか、進化の旅路を。》Log,P-5,#6n
[β-Gestalt Phase1:いつか見た夢]より引用